私のデザイン会社では、オフィスの応接間に美術本を置いている。
こうした応接室に置いてある美術書は得てして「飾り」であることが多く、「それっぽさ」だけの演出のために同業者に本を貸したこともある。
ただ、それは私のデザイン哲学に反する。
デザインは、アートとは違う。
世の中にある物を、より美しく配置すること。
仕事で請け負う案件は、商品についてそれを考え、商品の形状を最適化することがレゾンデートルなのだ。
これを「用の美」と言う。
必要な要素だけでできている物の形は、美しい。
ただ「それっぽさ」だけのために置いても、美術書は部屋のデザイン要素として成立しない。時代を超えて愛される作品に触れ、時代的背景などと照らし合わせて過去の表現者に思いを馳せ、それが眼前の仕事現場に反映されるからこそ、置く意味が生まれ、美が成立する。
また、美術書というものは、人材採用の際、本当に美術・デザインに関心がある美大生をするのに、意外と武器になるのだ。
そのために、好きな画家だけではなく、「これくらいは学生や来客も知ってるかな」という知名度の作家の本を置いてあるコーナーがある。
面接で好きな画家の名を聞くが、その時に実際の画集があると話が膨らみ、また知識や好奇心レベルのチェックもできる。
必ずしも美術書について詳しいことを求めているわけではなく、作品を通じて先人の生き方に共感できるか、なにかを得られるか、そしてそれらの表現力を見ている。
我々が社会に対して提供するのもそういう価値だ。
他には、私の個人的な座右の書と呼べる画集たち、今の時代だからこそ見直されるべき画家たちの作品集、と書棚を分けている。この最後の部分が、入れ替えが必要なところだ。
だが、美術本というのはとにかく、デカい。重い。そして保管が難しい。
入れ替えの際に収納に入れておくのだが、貴重な美術本にカビが生えてしまった。
道理だが、貴重なものほど紙も劣化が進んでいる。梅雨時は夜に空調を切るのでどうしても湿度が上がってしまう。
業者に頼んでカビ取りをしてもらったが、何冊にも渡ったため、思わぬ出費になった。
いまだに自分を縛る学生時代の呪縛
学生の頃に食事を削って本やレコードを買い集めた原体験から、なかなか本を粗末に扱えない。だからこそ、好きな本とレコードに囲まれる職場が夢だったのだ。
当時足しげく通っていた、美術書が揃った古書店は最近までかなり頑張っていたが、半年ほどタピオカ屋になり、今は台湾の家族が作る餃子のおいしい中華屋になった。
当時、どうしても欲しくてギターと迷った挙げ句に買った画集は、いまでもオフィスの本棚の絶妙なところに並べてある。
これまでの経験上、これらの本について自分から気づいて触れてきた相手とは、仕事でも相性がいい。もっとも、そんなことはかなり稀有だが。
クライアントも多く迎えるこの応接室は、デザイン会社にとってある意味でポートフォリオよりも大切な空間だと思っている。
他社に行っても、ただのお飾りとして本が並んでいるところは一目でわかる。
必要なものが必要な形でおさまっている、それでいて必要なこと以外のための余白がある、それが理想なのだ。
そうなると当然、書棚に置く美術書も定期的に入れ替える必要がある。
さらに目下、問題が発生している。
昨年、とある最新技術とデザインについての自著を出版したのだが、出版社との契約で返本分をこちらで引き取らねばならなくなったのだ。
言うまでもなく、10個のダンボール箱はオフィスの収納を圧迫する。
他の案件に割く時間を削って執筆に充て、スタッフたちも全面的に協力してくれていたので、このダンボールの山を見せるのはしのびない。
住所上、一等地にあるこのオフィスの一室も、スタッフも増えて手狭になってきたので隣が空いたら借りるかとも考えていたが、昨今の家賃の高騰でそれも諦めた。
かといって自宅にはなおさら、そんなスペースはない。
余白のなさ が耐えられない
クリエイター仲間からの献本は嬉しいものだ。
しかし、ありがたいことに名指しでサインまでしてくれるので、模様替えの時などうっかり処分しないように気をつけないといけない、
こうした献本が多いのも商売柄だが、買い取り業者に任せるわけにもいかず積み重なってゆくので、手狭なオフィスでは意外と困りものなのだ。
「ご著書、読みました」
というのが、書き手にとってどれだけ胸襟を開かせるか、自分でも出版しているのでよくわかる。できれば、ここに来るかもしれない人の本は、置いておきたい。話の進み方が違う。
そのため、本棚にはこうした献本と自著を置くコーナーもある。
さらには最新技術やWEBデザインに関する技術書のコーナーもある。
さて、困った。
これ以上、返本の山を置くスペースがないぞ。
初めての人はうちのオフィスを見たら、いくらでも置くところなんてあるじゃないか、ダンボールなんて部屋の片隅に積んでおけばいいと言うだろう。
だが、それだけはNGだ。
デザインとはほとんど、余白の面積を売っているというのが私の考えだ。
オフィスに余白がないデザイン会社が、いい余白を売れるはずがないのだ。
それを力説すると、秘書が
「はーい、わかりました。ではこの箱、なんとかしてくださいね。」
と呆れた答えが返ってきた。
一日も早くこの本をなんとかして、仕事場に余白を取り戻さねば、寿命が縮んでいくように感じる。
「そういえば、トランクルームを探しといてと仰ってましたよね、こんなサービスがあったんですが、いかがでしょうか。」
とりあえずトランクルームなら、以前楽器やレコードを預けていたこともあるし、一時的にはいいかなと考えて頼んでいた。
だが、その時もカビに悩まされたのだ。
よくわかっておらず最安値のトランクルームを選んだため、屋外に雨ざらしのコンテナで、レコードの一部にカビが生えてしまったのだ。
そのため、今回は空調管理が行き届いたトランクルームという指示を出していた。
だが、秘書が提示したのは意外なものだった。
本専用の預かりサービス、ブックオーシャン
なるほど、よく考えたものだ。
本というものは、そのサイズと軽さを遥かに超えた重みを持っている。
また、本には適切な温度・湿度管理というものがある。
トランクルームから出した時にカビの生えていたあの記憶から、すぐに保管環境をチェックしてみる。
定温定湿。この甘美な響きはなんだ。
電気代も高騰するなか、本を定温定湿で保管することがいかにハードルが高いか。
カビの生えたレコードジャケットの記憶が蘇る。
気がつくと、申込みを終えていた。
ダンボールだけ預けるなら300円、本棚プラン?なら400円。
なんでも、本棚プランのほうは、表紙の画像つきでWEB本棚で管理できるらしい。
これはちょうどよかった。
自著の返本分はダンボールで充分だし、美術書はラインナップを見て、定期的に入れ替えるため、一冊ごとに表紙が見られると都合がいい。今の自分にぴったりなサービスだ。
すぐに専用のダンボールが届いた。
美術書の入れ替えは、秘書や社員に任せず、就業後に一人でやることにしている。
今回は、返本分を詰め替えるという羞恥ミッションもあるので、なおさら少し遅めの時間に開始した。
が、ものの30分であっけなく作業は済んだ。
オフィスは余白を取り戻し、この一週間、小さな頭痛の種だったものが溶け落ちた。
ああ、余白の価値とはこれだ。
明日からまた、私たちはここで余白を売るんだ。
WEB本棚という用の美
適切な環境のありがたみを噛みしめつつ通常業務に戻り、社員とランチを摂っていると、BookOceanからメールが届いた。
リンクをクリックして、表示された本棚を見て驚いた。
思った以上によくできている。
ちょっと1ページ目のラインナップがバラバラなので、自分でお気に入りの画集を揃えてみた。この作業もまた楽しい。
終業後に入れ替えた応接間の画集たちも揃っている。
預けた本も揃っている。
あるべきところにあるべきものが収まっている、これは気持ちがいい。
細かいところだが、WEB本棚というのはてっきり、出版コードから表紙画像を自動で載せていると思った。ここでは、スタッフが表紙の写真を撮って一冊ずつ画像を載せてくれているのだ。
これは嬉しい。
もちろん新品は装丁も印刷も美しいが、何度も手にとって自然についたシミや、ちょっとした変形は、その本を通過した人を映す。こうして画集が汚れていくひとつひとつの営みが、美術史の1ページとなる。新品のままの本があるべき姿のはずはなく、これもまた用の美なのだ。
デザイナーなので、これまでは本は背表紙の配色も考慮して並べていた。
当然だが、WEB本棚では背表紙ではなく、表紙が主役だ。
リアル本棚に並べると、背表紙の装丁という極めてニッチなところばかりが目に入っていたわけだが、こうしてWEB本棚に並んでいると自分専用の本屋ができたようで楽しい。
それもそのはず、自分で選んでいるのだから、自分が欲しい本だけに決まっている。
これまで背を向けていた本たちが、こちらを向いて本来の表情を見せてくれているようだ。
さらに、カテゴリー、タグ付け機能で自分なりに分類ができる。
これがうれしい。
蔵書の目録を作りたいという願望は、本好きならあるだろう。
目録といっても、ただ蔵書をすべてエクセルに並べるだけでは味気ない。
こうして表紙もすべて並べられると、目録の作りがいがあるというものだ。
誰もいなくなったオフィスで、黙々とMY目録を作る日々が続いている。
・青春時代に影響を受けた画集
・オフィスに並べたい画集
・新人や仕事仲間に読ませたい画集
・自分の著書と友人の著書
ざっと、このような目録ができあがった。
どれも、大切であるがゆえに悩みの種になっていた本たちだ。
それが、今では眺めるだけでも至上の楽しみになっている。
そうか、本というのは読むだけではなかったんだ。
これまでの自分を振り返り、他者との関係を考えるためのアイテムであり、買って読んで終わりではない。
並べて、管理して、見直して、しかるべき時に取り出し、他者と共有する。
いちど失った余白を取り戻したことで、こんな当たり前のことに気付かされた。
こうして偉大な画家たちの残した足跡を引き継いでいける誇りが、私のデザイン稼業の軸になっているのだ。
こちらは「蔵書管理サービス ブックーオーシャン」利用者の方々にヒアリングを行い、記事として再構築したものになります。
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