ブックオーシャンがきっかけで断捨離ならぬ「全捨離」の境地を達成した著述家の三石さん。
ブックオーシャンの体験談をご寄稿いただきました!
三石晃生 Kosei Mitsuishi
歴史論者、著述家。公益社団法人温故學會・塙保己一史料館研究員・監事。その土地の歴史を掘り起こしての地域創生や、正確な歴史史料と膨大な知識に基づいた歴史的文脈からの斬新な企業アドバイスや巨大プロジェクトのコンセプトデザインを最も得意とする。2016年、17年と2年連続でTEDxTokyo yzに登壇。日本財団と東京大学先端科学技術センターによる異才発掘プロジェクト「ROCKET SIG」の歴史教育部門を担当。17年、世界初の歴史コンサルティング会社 goscobeを設立。同社代表取締役社長。アニー賞3冠を達成したTONKO HOUSE『ONI』のHistory consultant。映画「アリスとテレスのまぼろし工場」世界観監修。
小学生の遠足の感想文のようなタイトルに敢えてしてみた。昔あった洋モノの名も知らないロックバンドのライナーノーツのような、読んでも読まなくてもどうでも佳いという雰囲気がある。このタイトルにしたのは、あくまでも個人的な感想であるということを強調したいが為である。
BOOKOCEANとの出会いは、友人からの勧められたことに始まる。私は、歴史系の簡単な読み物の連載や、国内外の映画の脚本や企画の宗教学・民俗学の監修をすることから、それなりに本の多い人だった。『国史大辞典』だとか『諸橋大漢和』のようなジテンの類は、大学図書館に行くから自ら持つ必要はない。自分が持たなくてはならなかった本たちは、大学図書館が所蔵しないような単行本・文庫本であった。そこに更に最近、私が顧問をつとめる会社の法務関連の必要上、民法、債権法や会社法、行政法関連の専門書籍が加わり、最早本の置き場所がない有様であった。しかし私は植草甚一ほどの本読みではないし、それほどの蔵書も持っていないから床置きはしない。その代わり、私の律令学の恩師がやっていた方法で蔵書のスペースを何とか確保していた。それは江戸時代の和本のように、平置きに積んでいく仕法である。しかし、そのままではタイトルが判らないから、本の尻にタイトルを書いておくという方法をとっていた。
しかし棚が段々と、本の重みで曲がり始めてきていた。さて、どうするかな、と思い、それから既に3年が経過していた頃に友人からBOOKOCEANを勧められたのである。まさか、BOOKOCEANをきっかけに人生と生活がこれほどまでに変わろうなどとは、まだ2023年5月頃には思いもしなかった。
私は、元来、モノに対する執着が異常に強い。子供の頃に使っていたボロボロのタオルを捨てたのはようやく中学に入った頃だし、10年前に同棲していた彼女と共同で持っていたぬいぐるみは未だに我が家にいる。これは間違いなく、私の幼年期の体験によるものだと思う。私の祖母はちょっと偏執な気性のある人で、私が「言うことを聞かない」と私の所有物をどこかに仕舞って隠してしまうという人だった。おそらく隠した場所さえも忘れていたのだろう。祖母が帰幽してから遺品整理をしていた折に、私の幼年時代の大切にしていた玩具のミニカーやレゴブロックなどがタンスの抽斗の衣類と衣類の間から出てきた。私は、油断するとモノが無くなる、という異常な緊張感を持って生きなければならない妙な家庭に生まれ育ってしまったのである。
その結果、戦後間も無く生まれの老人のように、モノを手放すことができない人になってしまった。そういう私であるから、放っておけば本が増殖していくのは当然のなりゆきだった。
さて、BOOKOCEANでどれだけ預かって貰おうか、と考えた。明らかに駄本がある。あとはもう2度と読まないだろうな、という本がある。日本人が本を非常に大事に性分というのは歴史学的には宋代の思想の影響なのだが、明らかにそういう文化とは無関係に、己の吝嗇な性分から捨てていない本も沢山目についた。そうは言うが、捨てられないのだから仕方がない。さて、どの本をBOOKOCEANに送って所蔵しようか。
まず絶対に手元に残しておきたい本から考えたが、手元に措いておきたいものは小説だった。一方で、二度と読まない小説も存外多かった。やはりこうしてみると何度も読みたくなる小説は文学作品ばかりであった。特に私は、昔の字間の詰まった新潮フォントの古い版の小説でなければならないという類の人なので、福永武彦やら吉行淳之介やら三島由紀夫の小説の文庫本は手許においておくことにした。
さて、この小説は読む、読まないと内容を読んでいるだけで1ヶ月過ぎてしまった。もはや片付く気がしない。まず、「送るもの。所有しておきたい本」だけを選んでダンボールに詰めねば片付けは終わらない。もうこれは明後日には終わらせよう。荷造りも終わっていないのに、運送業者を明後日の午後に呼んでしまった。さあ、間に合わせねばならないぞ。
ダンボールには、クリフォード・ギアーツやらの文化人類学関連の原書などが優先して入れられた。これらは私の恩師が研究室を引き払う際に贈られた本たちで、いわば形見のようなものである。しかし、専門書の英原書は場所をとる。無駄に分厚いのである。ウチに置いておくよりも、保管がしっかりしたBOOKOCEANに預けるのが最良だろう。あとは大学図書館に無くて、絶版になって再購入する際に異常な値段のついている本を入れねばならない。続いて、岩波文庫の古典である。すぐ絶版にするので、また買えると思ったら大間違いなのである。外には駒村先生の『憲法訴訟の現代的転回』は名著なので、持っておこう。
さて、送る本を選んだところ本はダンボールでミッチリ3箱になった。
あとは集荷を待つのみである。BOOKOCEANのダンボールも組み立てはガムテープも使わずに非常に簡単だ。8箱送る予定でBOOKOCEANから送って貰ったダンボールだったが、保存しようと思ったのはたった3箱に過ぎなかった。
送り了った、それこそ櫛の歯が欠いたような書斎の本棚を見ていたら、不図、こんなように思われた。「残った本は、要らない本なのではないか」と。
本を棄てるにも、どんな本であったか頁をめくることがある。その時に私は思ったのだ。「内容を覚えてない本なら要らないのじゃないか」と。まず背表紙を見て、内容が瞬間で思い出せない本たちは廊下に出して、ビニル紐で括って積んだ。思い出せないのは、人に感銘を与えなかった、大したことが書いてなかった証拠である。
そして次の日は、「背表紙を見て、本の内容を覚えている本は、覚えているんだから要らないのじゃないか」と、思い始め、覚えている本も廊下に出して、紐で括った。
ここまでくると最早違う快感に駆られていた。もっと棄てたい、家の中からモノを少しでも無くしたい、という全く自分の中に存在しなかった新たな欲望・欲求である。語学書も全て要らない。なぜならば、習得し了った言語、あるいは習得できなかった語学書は、いづれにしても持ち続ける意味はないからだ。語学書は、現在進行形でしか意味をなさない本である。語学書よ、はい、お疲れ様。今までありがとう。他に薬学系の本も要らない。別に私は医者でも何でもない。はい、さようなら。マンガも一度読んだら二度読まないような人だから、もう要らない、さようなら。コロナ前に買ったけれど積読になって今でも読んでない本は、おそらく未来永劫読まないだろう。何を書いてあるか知らないが、さようなら。もはや断捨離の領域ではない。全捨離という狂気である。
そうして合わせて台車山盛り13台分、夜な夜なマンションのゴミ捨て場に棄て続けた。そんな最中、あることに気づいたのである。今までの自分は、アレもコレもと手を出し過ぎていたと。それは思考だけではなく、人生そのものがとっ散らかっていた、ということに気がついた。色々な蔵書に囲まれるだけで、木村蒹葭堂やら南方熊楠やらの博学になったつもりになっていたのに過ぎないのだと。六祖慧能も寺男の頃に、人間は、本来無一物、であると言っている。持つことも、持たぬことも同等。両方とも「空」の顕現である。してみるに、持っていても、持っていなくても同等ならば、どちらの方が心地よいかというと、私にとっては断然に後者なのである。幼少期に強固に形づくられたモノへの所有の執着が脱落した瞬間であった。
この全捨離欲は全ての生活に波及していった。高価った服であっても、2年より前に買った服は人に全てあげるか、捨ててしまった。家電製品も、「あれば便利」だが使用頻度が少ないものがある。私にとって布団乾燥機はそれであった。肩叩きや頭皮マッサージなどの電化製品ともお別れである。フライパンだけで大きさが異なるという理由で10個あっても仕方がない。一つあればよろしい。こんな具合で家の中のあらゆるものを、捨てに捨て続けた。
これは私の仕事のスタイルにも明らかな影響を与えた。新たに仕事が入ってきても、今までは自分の世界が広がるから、という理由であらゆるジャンルの仕事を無理してでも受け続けていたが、「それは私の本領ではないので」と、仕事を断りはじめた。本という私の脳内を具現化したものを取捨したことで、私に不必要なものが明瞭と判ったことが大きいのかもしれない。こうして私の物心ともに2ヶ月間、BOOKOCEANを契機とした全捨離運動は続いていく。
そうして私の部屋は、非常にサッパリとしたものになった。背丈が不揃いな本がだらしなく並べられた区域は、神棚と榊が配されるようになった。偽りの知識欲と衒学に埋もれた生活は排され、その代わりに豊かな余白が手渡されたのだ。
書斎の本はざっと1/70以下になっただろう。服も靴も1/10以下になった。もう仏画も描かないから面相筆も要らない。モノを買い、モノに囲まれる「異常な」生活をいかに当然なもとして受け止めていたかを感じた。最初は、捨てたら困る、なければ困る、などという疑念も湧き出たものだが、無くて困った出来事は一つも起こらなかった。モノを買い漁り、モノに囲まれる生活は、いかにもそれは共同幻想の産物に過ぎなかった。
この段階にきて、私は家にさえ執着がなくなってきた。これから種田山頭火のようになろうというわけではないのだけれど、私はせっかく身軽になったのであるから、沖縄と台湾の二拠点生活をすることにちょうど昨日決めたばかりである。
あちこちに思索を広げる著述家にとって、自分の所有物や拠点が執着や枷になるという感覚は私には非常に新鮮なお話でした。
三石先生は先日、台湾に拠点を移されたとのこと。ますますの飛躍を応援しています!
今回のご寄稿、誠にありがとうございました!
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